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2018年2月28日 (水)

28巻 寛喜三年(1231)九月小二十五日戊申

御所で蹴鞠がありました。相模四郎北条朝直・同三郎入道北条資時・周防前司中原親実・小山五郎右衛門尉長村・肥多八郎宗直・備中法橋定尊達がその庭に揃いました。
又、来月一日のお祈りについて触れ、今日、松殿法印良基・大進僧都観基・宰相律師に命じました。三人で同時に祈る護摩炊きです。

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2018年2月27日 (火)

28巻 寛喜三年(1231)九月小二十四日丁未

晴れです。午前四時頃に月が軒轅第三星を犯しました。

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2018年2月26日 (月)

28巻 寛喜三年(1231)九月小二十三日丙午

晴れです。将軍頼経様(14)は馬場殿へお出ましです。流鏑馬や遠笠懸などがありました。駿河前司三浦義村や武藤小次郎資頼などの古参が、特におぼしめしがあって、弓の芸を行いました。若者と違った面白味がありましたとさ。

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2018年2月25日 (日)

28巻 寛喜三年(1231)九月小十三日丙申

今夜、御所で和歌の会です。後藤基綱・源親行・光西伊賀光宗などが参加しました。

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2018年2月24日 (土)

28巻 寛喜三年(1231)八月大十六日己巳

晴れです。鶴岡八幡宮の神事。将軍頼経様出席、奉納は何時もの通りです。将軍の奥さん竹御所が流鏑馬見物のため馬場の仮座敷にお出でです。

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2018年2月23日 (金)

28巻 寛喜三年(1231)八月大十五日戊辰

晴れました。鶴岡八幡宮では生き物を放ち贖罪する放生会です。将軍頼経様(14)出席。大炊助有時が刀持ち。近江太郎左衛門尉佐々木重綱が弓矢をかつぎます。お供は、大夫判官後藤基綱・宇佐美判官祐政・駿河判官三浦光村です。

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2018年2月22日 (木)

28巻 寛喜三年(1231)八月大一日甲寅

空は晴れて風は静かです。世間ではやっと米が取れ初めたので、餓死者がやっと減ってきましたとさ。

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2018年2月21日 (水)

28巻 寛喜三年(1231)七月小十六日庚子

晴れました。今日、京都からの使いが到着しました。(九条道家は)摂政関白の職を左大臣九条教実〔歳22歳〕へ譲位しました。先日の2日に天皇の決裁文書を前もって眼を通す内覽権を与えられました。5日の夜になって御礼に伺いました。これは知足院藤原忠道さんの例にならったのだそうな。
今月は、世間で大飢饉なのです。又、二月以来、京都市街も郊外も伝染病が流行って、偉い人も貧しい人も沢山の人が亡くなりましたとさ。

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2018年2月20日 (火)

28巻 寛喜三年(1231)七月小十五日己亥

晴れました。二位家北条政子様の後生を弔うための小御堂での恒例の一切経の法要です。両国司(時房・泰時)が又もお参りです。

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2018年2月19日 (月)

28巻 寛喜三年(1231)七月小十一日乙未

二位家北条政子様の命日です。勝長寿院内の南小御堂で法要を行いました。指導僧は求仏坊です。竹御所も出席しました。相州北条時房さん・武州北条泰時さんも参加しました。

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2018年2月18日 (日)

28巻 寛喜三年(1231)七月小九日癸巳

晴れました。昼頃に、将軍の奥さん竹御所の新車の乗り初めです。駿河前司三浦義村の家へ行きました。将軍頼経様が先に行ってます〔直垂に牛車〕。駿河前司三浦義村の接待は心を込めた豪華なものです。音楽隊や踊り子たちを呼んで、一日中遊びました。夕べを告げる鐘の鳴るころになって、帰りました。

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2018年2月17日 (土)

28巻 寛喜三年(1231)六月小二十二日丁丑

高野山の法印貞暁が、先日の2月22日に亡くなられたそうです。その遺産は内大臣西園寺実氏様のお子様に譲渡し任命されるようにと、譲り状などの文書を添えて、武州北条泰時さんに送って来たので、その掌握していた地頭職は、譲渡状の内容通り相続するように、今日会議があって決定しました。それは、備中国竹荘・巨瀬庄の二つ。和泉国長屋庄。伊勢国三ケ野・山田野庄なのです。

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2018年2月16日 (金)

28巻 寛喜三年(1231)六月小十六日辛未

晴れました。今日は風が静かです。夕べの風の神への風伯祭の効果が出たようだと、決定しました。泰貞さんは褒美に刀を与えられましたとさ

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2018年2月15日 (木)

28巻 寛喜三年(1231)六月小十五日庚午

晴れです。午後八時頃、由比浦の鳥居の前で、風の神に豊年を祈る風伯祭を行いました。前大膳亮安陪泰貞が勤めました。神にささげる文句は、法橋円全が命じられて草案しました。この儀式は関東では、今まで例がないけれど、先月中旬から南風が盛んに吹いて、日夜休みなしです。この祈りのために、泰時さんがこれを提案してやらせたのです。将軍頼経様の代参は色部進平内だそうな。泰時さんの代参は神山弥三郎義茂です。今年、京都でこの儀式を行ったと聞いたからです。京都では賀茂在親さんが勤めたそうです。

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2018年2月14日 (水)

28巻 寛喜三年(1231)六月小六日辛酉

海運の船が、ある時は浦の淵を辿ったり、或る時は暴風に合ったりして、心ならずも予定外の場所へ着いてしまった時に、あちこちの地頭は、寄港船だと言って、理由もなく差し押さえてしまうと耳に入って来るので、先例はあっても、運航者にとってつらく悲しい負担である。今から以後は、止めるように諸国へ命令を出そうと、検討しましたとさ。

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2018年2月13日 (火)

28日 寛喜三年(1231)六月小一日丙辰

晴れました。泰時さんの病気が治りました。昼頃に病の穢れを洗い落とす沐浴をしましたとさ。

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2018年2月12日 (月)

28巻 寛喜三年(1231)五月大十七日壬寅

晴れました。午後四時頃、武州北条泰時さんが具合が悪くなりました。最近、十日以上も雨が降らず、飢えのため伝染病が国に流行しています。それなので、世間の安心と国土の豊年のために、今日鶴岡八幡宮で、八幡宮の坊さん始め三十人の坊さんで、大般若経を声を立ててお経を上げました。又、十日間の仏法を質問し合う問答講を勤めるようにおきめになりました。
 
 第一日目〔先生は三位僧都頼兼、質問者は安楽房法眼重慶〕
 第二日目〔先生は頓覚房律師良基、質問者は座心房律師円信〕
 第三日目〔先生は座心房律師円信、質問者は頓覚房律師良基〕
 第四日目〔先生は丹後律師頼暁、質問者は円爾房〕
 第五日目〔先生は円爾房、質問者は丹後律師頼暁〕
 第六日目〔先生は備後堅者、質問者は教蓮房〕
 第七日目〔先生は教蓮房、質問者は備後堅者〕 
 第八日目〔先生は肥前阿闍梨、質問者は筑後房〕
 第九日目〔先生は円爾房、質問者は肥前阿闍梨〕 
 第十日目〔先生は安楽房法眼重慶、質問者は三位僧都頼兼〕

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2018年2月11日 (日)

28巻 寛喜三年(1231)五月大十四日己亥

晴れました。午前十時頃、カラスが御所の食事の支度をする進物所へ飛び込んで、女官のお膳一膳をひっくり返しました。そこで占いをすることになりました。病気について注意するようにと、占い結果を申しあげましたとさ。

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2018年2月10日 (土)

28巻 寛喜三年(1231)五月大十三日戊戌

今日、決定して命令する箇条書きがあります。まず、諸国の守護人は、大犯三ケ条以外の、権限外の行いをしてはいけない。警察権限実行所は寛大な心を持って、年貢の収集に専念しなさい。
 
次に同様に守護地頭に対し、上級荘園権利者の領家から訴訟があった場合は、六波羅からの呼び出しを聞かないと聞いているので、二度は呼び出しをしなさい。三度目になったら鎌倉へ書面を出しなさいと、以前に言ってあるが、同情をして言って来なかったのか。今以後は、温情を与えず報告してくるように、改めて命令します。
 
次に泥棒については、たとえ百文以下の軽い犯罪でも、倍の返済をさせて、釈放しなさい。百文以上の重罪に対しては、その身を拘束して、親類縁者には罪科に及ばず。元の通り居住させなさい。謀反や夜討には、容赦入りません。
なんだとさ。

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2018年2月 9日 (金)

28巻 寛喜三年(1231)五月大九日甲午

晴れです。今朝、三浦駿河次郎泰村は幣を捧げる代参として常陸国の鹿島神社へ出発です。これは、世間が平和で射るようにとのお祈りのためです。」
又、御所では、一万巻の般若心経〔このうち千巻を将軍が書き写しました〕の法要を行いました。指導僧は、安楽坊法眼行慈ですが、これも同じ祈願でだそうな。

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2018年2月 8日 (木)

28巻 寛喜三年(1231)五月大七日壬辰

地震です。今日、大進僧都観基が、薬師如来の護摩炊きを勤めました。天の星の運航の異常に対するお祈りです。安陪晴幸は地震祭を勤めましたとさ。

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2018年2月 7日 (水)

28巻 寛喜三年(1231)五月大五日庚寅

晴れです。南風が烈しい。先月18日に届いた天皇の命令書の通りに、国分寺で最勝王経を略読みするように関東に統治を任されている国々へ命令しました。民部大夫入道行然二階堂行盛が担当です。

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2018年2月 6日 (火)

28巻 寛喜三年(1231)五月大四日己丑

先月の事ですが、ある坊さんが祗薗さん(八坂神社)のお告げだと言って、夢で見た言葉をお札に書き表し、京都で配りました。そこで殿下九条道家さんから将軍頼経様に送り進めてきました。たとえ、人毎に銭五文か三文を割当で般若心経を讀誦するように。すぐに南東の方角で鬼気祭を祀るのである。そうすれば、今年は世間に流行病も餓死をも除くことが出来るでしょう。伝染病については、5月以後6月18日前に怒るでしょうとか。だからこのお札を魔よけに掛けておくように。(醫王源□急々如律令□□□山柘急々如律令)この事を信じて行えば、人々の安心や天下が平和であるでしょうだとさ。」
 
今夜、御所の丑寅・辰巳・坤・乾の角と、鎌倉の四方とで鬼気祭を行いました

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2018年2月 5日 (月)

28巻 寛喜三年(1231)四月小二十九日乙酉

昨日の鳥の事について、占いを行わせました。安陪泰貞・安陪晴賢・安陪晴幸・安陪重宗・安陪宣賢・安陪成光等が参りました。病気の事と、女官の病気の事について気を付けるようにと占い結果を申しあげました。夜になってそのお祓いのお祈りを行いましたとさ。」
今日、新しく檢非違使になった三浦光村が京都から帰ってきました。派遣員として出張した褒美に、先日14日検非違使を与えられましたとさ。皇子誕生のお祝いを云いに行った派遣員だからです。

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2018年2月 4日 (日)

28巻 寛喜三年(1231)四月小二十八日甲申

午後六時頃、御所の北側の別棟(北の対の屋)あたりに見知らぬ鳥が集まってます〔水鳥らしく色は黒色。翌日に死にました〕。多少見た事がある人もいるようだが、その名前は分からないそうな。

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2018年2月 3日 (土)

28巻 寛喜三年(1231)四月小二十七日癸未

晴れです。午後四時頃に地震が二度ありました。

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2018年2月 2日 (金)

28巻 寛喜三年(1231)四月小二十一日丁丑

承久の乱の後、諸国の郡や郷の荘園や国衙領の保へ新しく任命された地頭の領地関係について、5条の規則を決めました。又その事を六波羅へも箇条書きを云い送りました。
まず、京都内の神社のお祭りの日に武士でないの者が武装するのを止めさせる。
次に強盗や殺人犯について、首謀者は死刑にし、共犯者については九州の御家人・京都駐在の連中それと守護人に引き継ぎ鎌倉へ護送する。なお、泥棒の中で、たとえ銭百文や二百文程度の犯罪でも、その程度の軽犯罪は倍返しで償いさせなさい。重犯罪の連中については、その身柄を逮捕しても、共犯ではない親類縁者に弁償させてはならないだとさ。

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2018年2月 1日 (木)

28巻 寛喜三年(1231)四月小二十日丙子

河越三郎重員は、武蔵国の軍事催促統率権の職には四か条の掌握権について、先日の2日に現地代理管理人を調査しました。秩父権守重綱の時代から畠山次郎重忠までの間は、掌握していたのは重員の云ってる事と合ていると、国衙に勤務している散位日奉実直と同職の弘持、物部宗光たちが提出した14日の報告書、現地管理人の代官帰寂が同様に15日に同封した保証書が届きました。そこで、間違いなく掌握権を実施するようにとの事でしたとさ。

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