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2018年1月31日 (水)

28巻 寛喜三年(1231)四月小十九日乙亥

風雨や水害・旱による災難を避けるように祈るため、諸国の国分寺で、最勝王経を略読みするようにとの、天皇の命令が昨夜届きました。そこで今日、民部大夫入道行然二階堂行盛が担当して、政務事務所で鎌倉幕府に権限を与えられている国々の分の実施をするように、お決めになりました。」
午後四時頃に相摸四郎朝直の妻〔泰時さんの娘〕が男の子を安産しました。

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2018年1月30日 (火)

28巻 寛喜三年(1231)四月小十九日乙亥

風雨や水害・旱による災難を避けるように祈るため、諸国の国分寺で、最勝王経を略読みするようにとの、天皇の命令が昨夜届きました。そこで今日、民部大夫入道行然二階堂行盛が担当して、政務事務所で鎌倉幕府に権限を与えられている国々の分の実施をするように、お決めになりました。」
午後四時頃に相摸四郎朝直の妻〔泰時さんの娘〕が男の子を安産しました。

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2018年1月29日 (月)

28巻 寛喜三年(1231)四月小十七日癸酉

晴れです。京都から使者が着きました。姉さんの中宮就任の祝いで、先日の8日に将軍頼経様は正四位下に任命されましたと伝えました。

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2018年1月28日 (日)

28巻 寛喜三年(1231)四月小十五日辛未

午後二時頃地震です。

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2018年1月27日 (土)

28巻 寛喜三年(1231)四月小十四日庚午

曇りです。月食です。欠け始めが午前2:12~2:24時頃で、終わるのが午前3時~3:12頃なのですが、曇りなので見えませんでしたとさ。

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2018年1月26日 (金)

28巻 寛喜三年(1231)四月小十一日丁卯

天の星の運航の異常をお祈りの護摩炊きを始めました。それは、不動明王は信濃法印道禅。降三世明王は大進法印寛喜。軍茶利明王は丹後僧都頼暁。大威徳明王は宰相法印。金剛夜叉明王は若宮別当法印定親。一字金輪文殊菩薩は大蔵卿法印良信。

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2018年1月25日 (木)

28巻 寛喜三年(1231)四月小五日辛酉

晴れです。先月25日の人事異動の辞令が届きました。将軍頼経様は右近衛の中将に異動になりました

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2018年1月24日 (水)

28巻 寛喜三年(1231)四月小四日庚申

天の星の運航の異常をお祈りするように、将軍から仰せがありましたとさ。

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2018年1月23日 (火)

28巻 寛喜三年(1231)四月小二日戊午

河越三郎重員は、武蔵国の国司代行軍事権者です。この職には四か条の掌握権があります。「最近は殆どすたれてしまった。だから昔の例の通り掌握したいのです。」と泰時さんに嘆いて来たので、岩原源八経直に担当させて、今日現地代理管理人を調査するように命じましたとさ。

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2018年1月22日 (月)

28巻 寛喜三年(1231)三月大十九日乙巳

今年の世間は飢饉です。百姓が沢山飢え死にしそうです。それで、武州北条泰時さんは自分の領地の伊豆と駿河でモミ用の貸付米を与えました。それは、飢えを救ってあげようと、倉庫を持っている連中に言って聞かせました。豊前中務丞が担当して、この言葉を公文書に仕上げ、泰時さんの花押も載せましたとさ。

 今年世間は、飢饉のため、人々が飢え死にすると噂が流れている。とても気の毒である。そこで、伊豆・駿河両国の貸付米を持っている連中が、くれてやらないので、生活のしようがないそうな。早く貸付米を与えるように、云って下さっております。そこで後日、もしも怠けてやらなかった者は、書き出された内容によって処分するつもりである。命じられて書いたのはこのとおりです。
 寛喜三年三月十九日        中務丞実景が書きました。
 矢田六郎兵衛尉殿

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2018年1月21日 (日)

28巻 寛喜三年(1231)三月大十六日壬寅

晴れました。武蔵大路の下民の家一軒が燃えました。これはもしかしたら、若い女性が嫉妬に狂って焼身自殺のため放火したらしい。

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2018年1月20日 (土)

28巻 寛喜三年(1231)三月大十五日辛丑

晴れです。永福寺恒例の仏舎利を供養する法要です。将軍頼経様もお参りです。奥さんの竹御所も牛車に同乗です。相州北条時房さんも相州北条泰時さんも行かれました。

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2018年1月19日 (金)

28巻 寛喜三年(1231)三月大十日丙申

晴れました。駿河三郎三浦光村は、幕府の使者として京都へ上ります。皇子誕生をお祝いに行くためです。

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2018年1月18日 (木)

28巻 寛喜三年(1231)三月大九日乙未

晴れました。六波羅から伝令が来ました。先月23日仁和寺の法印御坊〔貞暁46歳〕が高野山で亡くなったそうな。この人は、頼朝様の御落胤で、竹御所の伯父に当たります。そこで軽い喪に服すので、竹御所へ移りました。

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2018年1月17日 (水)

28巻 寛喜三年(1231)三月大六日壬辰

晴れです。京都から新車を送ってきました。これは将軍奥様専用の牛車です。

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2018年1月16日 (火)

28巻 寛喜三年(1231)三月大三日己丑

鶴岡八幡宮で上巳の節句の神事です。将軍の奥さんがお参りしました。」
今日、将軍頼経様は初めて春日大社の末社を拝みになりました。これは、四位に任命されてから、初めて衣冠に着る丸襟の袍を着ました。それでお礼のお参りに倣って、藤原氏の氏寺である春日の末社にお参りをしたのだそうな。四位の袍を着る日について、お日和を選ばせるように、命じましたが、天皇家の直衣始めはその日を選ぶ例があります。四位の袍の着始めは、必ずしも日を選びませんと、学識者が言うので、単に吉日にしたんだそうな。
   

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2018年1月15日 (月)

28巻 寛喜三年(1231)三月大二日戊子

晴れです。夕方になって将軍頼経様(14才)が足の指を刀で突いて切ってしまい、血が出ました。皆さん集まって来たので、御所の中は大騒ぎです。しかし、大したことはありませんでしたとさ。

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2018年1月14日 (日)

28巻 寛喜三年(1231)三月大一日丁亥

雨降りです。女官の宿舎で賭け事をしました。北条時房さんと北条泰時さん、それに奥様方も参加しましたとさ。

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2018年1月13日 (土)

28巻 寛喜三年(1231)二月小二十三日庚辰

将軍頼経様の祈りとして、鶴岡八幡宮の神殿で仁王経を挙げる法要をしました。先月13日以後8日間も山鳩が八幡宮の石段の下の梅に木に集まって飛び去らなかったことについて、占わせたところ、将軍の方の遠慮ではなく、八幡宮側の口喧嘩や争いを控えるようにと、占い申しましたとさ。

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2018年1月12日 (金)

27巻 寛喜三年(1231)二月小二十一日戊寅

御所の侍だまりの二間を増築しました。防州中原親実が台所の工事と同様に指揮担当です。」
今日、京都の伝令が着きました。先日の12日に後堀河天皇の妾の中宮〔将軍頼経様の姉〕が安産しました。男子誕生と報告しましたとさ。

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2018年1月11日 (木)

27巻 寛喜三年(1231)二月小十二日己巳

晴れました。午後四時頃に京都からの使いが来ました。先日の5日に将軍頼経様(14才)が、従四位下に任命されました〔少将は元のままです〕。

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2018年1月10日 (水)

28巻 寛喜三年(1231)二月小十一日戊辰

晴れです。午後六時頃、足利左馬頭義氏の八幡宮西側の馬場本の宿所が失火で燃えてしまいました。放火かも知れないとの疑いもありますそうな。

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2018年1月 9日 (火)

28巻 寛喜三年(1231)二月小九日丙寅

勝長寿院境内の新築の三重塔で、初めて正月明けにする法会の修正月会を行いました。指導僧は、良信法印です。

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2018年1月 8日 (月)

27巻 寛喜三年(1231)二月小二日己未

御所の奥さんの住まう御台所を南へ引きずって移しました。周防前司中原親実が指揮担当しました。

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2018年1月 7日 (日)

28巻 寛喜三年(1231)正月大二十九日丙辰

鎌倉幕府に奉仕している人々は、贅沢を止めるように、お決めになりましたとさ。

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2018年1月 6日 (土)

28巻 寛喜三年(1231)正月大二十五日壬子

晴れました。午後二時頃に名越のあたりで失火があり。越後四郎北条時幸・町野加賀守三善康俊などが災害に遭いました。同時に甘縄あたりでも民家が50余軒焼けました。放火だそうな。

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2018年1月 5日 (金)

27巻 寛喜三年(1231)正月大二十四日辛亥

将軍奥様竹御所が鶴岡八幡宮へお参りです。左近大夫将監大江佐房・周防前司中原親実・上野介結城朝光以下十数人がお供をしました。

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2018年1月 4日 (木)

28巻 寛喜三年(1231)正月大二十日丁未

午前六時頃、鶴岡八幡宮の筆頭僧侶法印定親が、御所へ申し入れてきました。八幡宮の石の階段の西に梅の木があります。山鳩が二羽その木にいて、今日で八日経ちますが今でも飛び立たずにおりますだとさ。

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2018年1月 3日 (水)

28巻 寛喜三年(1231)正月大十九日丙午

夕べの零時頃から午前11時過ぎまで白雪が降って、9cmも積もりました。今日、箱根・伊豆の両権現への代参に式部大夫北条政村さんが出発しました。将軍夫人の代参は牧右衛門尉だそうな。同様に出発しました。

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2018年1月 2日 (火)

28巻 寛喜三年(1231)正月大十六日癸卯

午前四時頃に雨が降り、午前十時頃以後は晴れました。午後二時頃に米町あたりで失火し、横町とその南北600mが被害に遭いました。出羽前司中条家長の家がその中にありました。

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2018年1月 1日 (月)

28巻 寛喜三年(1231)正月大十四日辛丑

午後十時頃に、大倉観音堂杉本寺の西のあたりの下山入道の家で失火しました。飛び火で唐橋中将通時の屋敷それに故右京兆北条義時さんの旧宅と、二階堂大路の両側の民家が焼けました。

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