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2017年5月23日 (火)

27巻 安貞二年(1228)八月大十五日乙卯

晴れです。鶴岡八幡宮の生き物を放して供養する放生会です。将軍頼経様もお出ましです〔束帯で牛車〕。まず、お祓いと厄除けの儀式があり、安陪晴賢が勤めました。駿河守北条重時がお手伝いで、周防前司中原親実が指揮担当です。その後、牛車に乗り、南門から若宮大路に出て、八幡宮へ行かれましたとさ。駿河守北条重時が太刀持ちで、佐原三郎左衛門尉家連が弓矢を担いでいます。

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2017年5月22日 (月)

27巻 安貞二年(1228)八月大十三日癸丑

明後日のお参りのお供について、駿河守北条重時が名簿を書き出し周防前司中原親実を通して渡しました。殆ど、田村へ遠足の時の人数です。将軍頼経様は、「この名簿を変えてはいけさい。ただし、あの時の武装兵は12人です。今度は8人足して前後に分けなさい。」と云いました。
その8人とは、相模五郎時直・小山五郎長村・氏家太郎公信・伊東左衛門尉祐時・葛西左衛門尉清重・天野次郎左衛門尉景氏・東六郎行胤・足立三郎元氏です。

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2017年5月21日 (日)

27巻 安貞二年(1228)八月大十一日辛亥

御所の南庭で、相撲の予選勝負をさせました。褒美があります。遠藤左近将監為俊が指揮担当をしました。こういうことの先例の有る無しを調べるように命じましたが、答えの出ないうちに勝負をさせてしまいましたとさ。

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2017年5月20日 (土)

27巻 安貞二年(1228)八月大五日乙巳

例の新車の乗り初めをしました。お日柄については、太政大臣近衛宗実さんの取り扱いとして京都で陰陽寮にお聞きになりました。賀茂在継は先日の二日だと云うので、その上申書を送ってきましたが、将軍頼経様が気に入らないので、尚検討して、今日にしました。

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2017年5月19日 (金)

27巻 安貞二年(1228)八月大二日壬寅

今日、牛車の新車を公式に御所の車庫に入れました。後藤左衛門尉基綱が指揮担当です。

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2017年5月18日 (木)

27巻 安貞二年(1228)七月小二十九日庚子

新しく注文した牛車が届いて、泰時さんの所にあります。来月の15日は鶴岡八幡宮の生き物を放して供養する放生会です。それなのでお出かけがあるでしょう。この新車を使うように。それならば、予め試乗するかどうか、泰時邸で検討されました。やっぱり試乗した方が良いと皆が云うので、陰陽師の上申書を取ることにしましたとさ。

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2017年5月17日 (水)

27巻 安貞二年(1228)七月小二十六日丁酉

駿河前司三浦義村が、御所へ来て、訪問のお礼を申し上げました。又、お酒と御馳走を献上しました。泰時さん達が集まりました。今日、藤内左衛門尉定員を使いに扇を安陪泰貞に与えました。雨が降らないと占った褒美だそうな。

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2017年5月16日 (火)

27巻 安貞二年(1228)七月小二十五日丙申

曇り後晴れ。鎌倉へお帰りになりました。三浦義村は、引き出物を献上しました。
 刀は、陸奥四郎政村が持ってきました(義村の乳母夫子)
 兜は、佐原三郎左衛門尉家連と遠藤兵衛尉
 狩用の弓矢は、結城左衛門尉朝光
 乗馬袴は、三浦次郎泰村
 砂金は、城太郎安達義景
 
一頭目の馬〔月毛、鞍置き〕は、駿河三郎光村と同四郎家村がこれを引いてきました
 二頭目の馬〔葦毛ぶち〕は、佐原四郎光連と高井三郎実泰
 三頭目の馬〔黒〕は、上総太郎と稲川十郎
灯り時前に、幕府へお入りになりました。

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2017年5月15日 (月)

27巻 安貞二年(1228)七月小二十四日乙未

曇りです。将軍頼経様は、田村に旅行中です。遠笠懸や小笠懸がありました。人々は柵に集まって見物しています。この間に、三浦次郎泰村と佐々木太郎左衛門尉重綱が言い争いが始まり、互いに罵り合いになりました。三浦泰村〔笠懸の射手〕は馬に乗りながら柵内で矢を弓に掛けました。重綱〔検査係〕は柵の外で近づきながら、刀を左手に持ちました。お互いに戦の準備に入りました。しかし、弓を引いたり刀を抜いたりする前に、重臣たちが双方をなだめましたので、無事に静かになりました。
射手は
 相模四郎朝直      陸奥五郎実泰
 小山五郎長村      相模五郎時直
 小笠原六郎時長     筑後十郎
 長江八郎朝景      伊賀六郎右衛門尉光重
 佐々木判官三郎     城太郎安達義景
 佐々木八郎信朝     氏家太郎公信
 宇都宮四郎左衛門尉頼業 三浦又太郎氏村
 三浦次郎泰村      結城七郎朝広
夜になって、田圃や田舎を味わいました。踊り子が数人集まって来ましたとさ。

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2017年5月14日 (日)

27巻 安貞二年(1228)七月小二十三日甲午

曇りです。将軍頼経様は、駿河前司三浦義村の田村の別荘へお出かけです。これは、田や家の空きの風情を楽しむ遠足です。午前八時頃出発〔水干〕。輿を使い、金洗い沢〔七里ヶ浜〕からは乗馬しました。柄の長い日よけ笠を差しかけました。昨晩と今朝、重臣数人がその田村へ向かいました。この人たちは、お供から外れた人々です。
お出かけの行列は、
まず乗馬武装兵十二人が左右に分かれて行きます。
 三浦駿河次郎泰村  長江八郎師景
 結城七郎朝廣    上総太郎
 城太郎義景     小笠原六郎時長
 大須賀左衛門尉胤秀 佐々木太郎左衛門尉重綱
 足利五郎長氏    河越次郎重時
 陸奥四郎政村    相模四郎朝直
次に乗り換え馬三頭
次に弓袋持ち一人
次に將軍の鎧を着てる人一人
次にその交代人二人
次に乗馬の将軍です。
 駿河四郎家村〔太刀持ちです〕 佐原十郎左衛門尉太郎〔柄の長い日よけの笠を差しかけてます〕
 佐原四郎光連     高井次郎実茂
 多々良次郎通定    印東太郎
 遠藤兵衛尉      土肥太郎
 稲川十郎       伊佐兵衛尉 
   以上は将軍の左側を並んで歩いている。
 大川戸太郎兵衛尉広行 下河辺左衛門次郎宗光
 梶原三郎景盛     佐貫次郎
 波多野小六郎     佐野小五郎宗綱
 佐々木八郎信朝    春日部太郎
 海上五郎胤有     阿保三郎
 本間次郎左衛門尉信忠
   以上は将軍の右側を並んで歩いている。
将軍の弓矢を肩に懸けている人は
 長尾三郎為村
 将軍の後ろに続く人〔水干を着て、狩用の矢を持っている〕
 越後守朝時       駿河守重時      陸奥五郎実泰
 大炊助有時       相模五郎時直     助教師員
 周防前司藤原親実    加賀前司遠兼     三条左近大夫親実
 駿河蔵人        左近蔵人毛利親光   伊賀蔵人
 結城左衛門尉朝光    小山五郎長村     修理亮時氏
 白河判官代八郎     佐々木判官信綱    同三郎泰綱
 長沼四郎左衛門尉時宗  後藤左衛門尉基綱   伊豆左衛門尉頼定
 伊東左衛門尉祐時    宇佐美左衛門尉祐政  佐原三郎左衛門尉家連
 宇都宮四郎左衛門尉頼業 伊賀四郎左衛門尉朝行 同六郎左衛門尉朝長
 土屋左衛門尉宗光    中条左衛門尉     信濃次郎左衛門尉二階堂行泰
 藤内左衛門尉定員    隱岐次郎左衛門尉泰清 狩野藤次兵衛尉為光
 天野次郎左衛門尉景氏  遠山左衛門尉景朝   加藤左衛門尉行景
 大江兵衛尉能行     葛西左衛門尉清重   相馬五郎義胤
 東六郎行胤       三浦又太郎氏村    足立三郎元氏
 島津三郎左衛門尉忠直  遠藤左近将監為俊   海老名藤内左衛門尉忠行
 豊島太郎        長江四郎明義     氏家太郎公信
 三善太郎左衛門尉
しんがりには
 相模守時房       武蔵守泰時      相模小太郎


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2017年5月13日 (土)

27巻 安貞二年(1228)七月小二十二日癸巳

曇りです。南よりの風、時々小雨がぱらつきました。明日、田村へ出かける事にしました。しかし、今日の天気は曇ったり晴れたりしてるので、明日若しも雨が降るかどうかを、安陪泰貞を呼んで、藤内左衛門尉忠行を通してお聞きになりました。空は曇っても雨は降りません。お出かけには最高の日ですよと、占い結果を申しあげましたとさ。

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2017年5月12日 (金)

27巻 安貞二年(1228)七月小二十日辛卯

駿河前司三浦義村の喪に服す期間は終わりましたので、彼の田村の別荘へ遊びに来ていただきたいと招待申しあげました。最近、その家に修理して、一軒新築しましたので、その縁から門の脇の田圃まで渡り廊下を作り、草花を沢山栽培して、その東と南の庭に植えたそうな。

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2017年5月11日 (木)

27巻 安貞二年(1228)七月小十八日己丑

空は晴れです。御所内の馬屋は、元は三間でした。お気に入りの馬が増えるたびに建て増したので、二間を繋ぎ建て増します。狩野藤次兵衛尉為光が指揮担当だそうな。

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2017年5月10日 (水)

27巻 安貞二年(1228)七月小十六日丁亥

空は晴れです。南風が烈しい。午後四時頃、松童社(現八雲神社)の近所から失火して、東西400mの内の人家は燃えてしまいました。竹御所は、あと100m離れていたので類焼を逃れました。泰時さんが駆けつけたそうな。

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2017年5月 9日 (火)

27巻 安貞二年(1228)七月小八日乙卯

晴れです。馬場殿で、競馬・相撲の勝負をさせました。今日の出勤者が家来を呼び出し、その勝負をさせましたとさ。

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2017年5月 8日 (月)

27巻 安貞二年(1228)七月小五日丙子

空は晴れです。越後守朝時さんは、近頃の病気が快方に向かったので、今日病の穢れを洗い流す沐浴の儀式をしました。将軍頼経様(11歳)は、狩野藤次兵衛尉為光を使いにお祝いを伝えましたとさ。

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2017年5月 7日 (日)

27巻 安貞二年(1228)六月大三十日辛未

御所で、先達ての26日の森戸での遠笠懸に負けた者の賭け品物の提出がありました。相模五郎北条時直達6人が品物を献上しました。武州泰時さんはじめの人々も参上してきましたので、舞姫達を呼んで加え、楽しいひと時を過ごしましたとさ。

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2017年5月 6日 (土)

27巻 安貞二年(1228)六月大二十八日己巳

北側の小御所の庭で、小御所に勤務している近習を呼び集めて、相撲の勝負をさせました。武州泰時さんも立会ました。扇を勝った者に褒美に与えましたとさ

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2017年5月 5日 (金)

27巻 安貞二年(1228)六月大二十六日丁卯

空は晴れです。将軍頼経様は遠足に森戸へ出かけました。遠笠懸や相撲などの勝負がありました。
射手は、
 相模四郎朝直     対 同五郎時直
 越後太郎光時     対 小山五郎長村
 結城七郎朝広     対 佐原三郎左衛門尉家連
 上総太郎       対 小笠原六郎時長
 城太郎安達義景    対 佐々木八郎信朝
 伊賀六郎左衛門尉光重 対 横溝六郎義行
武州泰時さんが御馳走のふるまいを献上しました。又、長江四郎明義などが弁当を用意しました。宴会の間は音楽を奏でていました。夜になって船で由比の浦へ帰りました。そこから輿を用意して、すぐに幕府へ入られましたとさ。

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2017年5月 4日 (木)

27巻 安貞二年(1228)六月大二十五日丙寅

曇りです。明日、田村館へ行く予定を、予め決めていましたが、家主の三浦義村に喪に服すことが起きたので、これは延期して、他へ遠足に出かけようと、お決めになりました。明日は、延長年間に清涼殿に雷が落ちた日です。それなので、以後必ず雷雨になります。さぞかし外出の妨げになるでしょうだとさ。そこで、雨が降るか降らないか占うように、藤内左衛門尉定員が文書を陰陽師に回覧しました。晴賢・泰貞・国継は雷雨は有りませんと云い、親職・晴職は雨が降ると云います。文元は、晩になって小雨が降るでしょうと云いましたとさ。

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2017年5月 3日 (水)

27巻 安貞二年(1228)六月大二十三日甲子

晴れです。午前八時頃、将軍頼経様の百日招魂祭の穢れを撫でる人型が、ネズミに食われてダメになってしまいましたとさ。

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2017年5月 2日 (火)

27巻 安貞二年(1228)六月大二十二日癸亥

来る26日に将軍頼経様(11歳)は、相模川のあたりへ遠足をします。ついでに駿河前司三浦義村の田村の家へ一泊するように思い立ちました。しかしその日は、その場所が鎌倉の御所から西北に当たり、外出を忌む太白の方角じゃないかと人々が云います。そこで、これを決めるために、親職・晴賢を呼んでおききになりました。晴賢は「その場所へは未だ行ったことがないので、簡単に決められないが、人伝えでは西北に当たらないんじゃないか。」と、親職は「西北西ですよ。」と云ってます。そういう訳で、「一泊することに問題はない。」と、三浦義村に云って聞かせましたとさ。

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2017年5月 1日 (月)

27巻 安貞二年(1228)六月大六日丁未

午前八時頃、御所の台所の竈が鳴りましたとさ。

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