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2017年3月31日 (金)

27巻 安貞二年(1228)二月小七日辛亥

午後四時頃、将軍頼経様の着物に鳶が糞をかけて行ったので、占いをさせました。病気に気を付けるようにと云ってたそうな。

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2017年3月30日 (木)

27巻 安貞二年(1228)二月小四日戊子

今日、故下野大掾小山政光入道の妻の尼〔網戸尼(寒河尼)〕が亡くなりました〔歳は91〕。この人は、八田武者所宗綱の娘で、結城左衛門尉朝光の母です。故右大将頼朝様や禅定二位家政子様は、特に重く扱っておられましたそうな。

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2017年3月29日 (水)

27巻 安貞二年(1228)二月小三日丁亥

晴れました。将軍頼経様は、鶴岡八幡宮へお参りです。清めの白い着物を着ています。まず、散位安陪晴賢〔衣冠〕が廊下の牛車を付ける扉でお祓いをしました。石山侍従藤原教定が給仕をしました。その後、馬に乗って南門から出ました。お供の人は、武州北条泰時さん・越後守北条朝時・駿河守北条重時・大炊助北条有時・駿河前司三浦義村・出羽前司中条家長・町野民部大夫康俊・後藤左衛門尉基綱〔太刀持ちです〕・狩野藤二兵衛尉為光〔弓矢を担ぐ〕・藤内左衛門尉藤原定員・結城左衛門尉朝光・土屋左衛門尉宗光・佐々木判官信綱〔普段着と清い白の着物とまざっている〕。
又、六位の者20人が鎧直垂を着て、将軍の馬の左右に並んで進みます。これは、過ぎし建保七年正月右大臣将軍実朝様がお参りの時、警護の者がいないために事件が起こったので、今後は用心するように予ねて決めたからです。」
伊豆国走湯山神社の使いが到着しました。昨夜の午前12時頃に、伊豆山神社の講堂・中堂・常行堂が失火で焼けました。俗躰の本地垂迹阿弥陀如来は取り出すことが出来ず、燃えて灰となってしまいました。常行堂は、去年の12月に相州北条時房さんが負担して建築し始めましたが、孫の死などによってのびのびとなり、完成前なのに又もや焼けてしまいました。ただ事ではありませんね。

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2017年3月28日 (火)

27巻 安貞二年(1228)正月大二十九日癸卯

将軍頼経様の二所詣でについて、今年は延期するように、決定しました。前の通り代参としてお参りするように、三浦義村に云って聞かせましたとさ。

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2017年3月27日 (月)

27巻 安貞二年(1228)正月大二十三日丁酉

晴れました。昼頃に、将軍頼経様は竹御所の屋敷へお入りになりました。狩衣で輿に乗ってです。越後守朝時・駿河守重時以下の数人がお供しました。武州泰時さんはあらかじめ接待場所に行ってました。夜になって帰られました。

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2017年3月26日 (日)

27巻 安貞二年(1228)正月大十九日癸巳

将軍頼経様の御前で、二所詣での日時の検討をしました。陰陽師は前へ出て、来月14日に出発なさるようにと、安陪親職・安陪晴賢・安陪文元が、先日占い結果を出しました。しかし、「外出に縁起の悪い日です。行けません、」と泰貞が内々に申しあげるので、将軍頼経様は直接質疑に入られました。それぞれ言い爭いになりました。武州泰時さんと三浦義村・中条家長が前へ出て、「他の日にしたらよいじゃありませんか。」と異議を唱えました。それなので、尚も占いをして2月25日出発と決めましたとさ。

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2017年3月25日 (土)

27巻 安貞二年(1228)正月大十三日丁亥

二所詣での代参として、出発するように駿河前司三浦義村に仰せになりました。すぐに承知しましたと云ったんですが、なおご検討されて、代参を辞めて、直接お参りに行くと、今日お決めになりましたとさ。

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2017年3月24日 (金)

27巻 安貞二年(1228)正月大十日甲申

弓始め式です。

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2017年3月23日 (木)

27巻 安貞二年(1228)正月大九日癸未

周防前司中原親実が担当して、箱根權現と伊豆山權現への新年のお参り二所詣での代参について、検討しましたとさ。

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2017年3月22日 (水)

27巻 安貞二年(1228)正月大八日壬午

快晴です。御馳走のふるまいの後、般若心経を唱える行事を行いました。武州泰時さんはじめ出仕者は何時もの通りです。今日、鶴岡八幡宮への年始のお参りをするよう、前もって決めてありましたが、延期しましたそうな。日中に外出始め式があり、泰時さんの屋敷へ入られました。駿河守重時が太刀持ちをして、狩野藤次兵衛尉為光が弓矢を肩に懸けましたとさ。

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2017年3月21日 (火)

27巻 安貞二年(1228)正月大七日辛巳

晴れました。午後八時頃、急に空が曇り、南方で雷が2・3回。但し雨は降りませんでした。

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2017年3月20日 (月)

27巻 安貞二年(1228)正月大三日丁丑

晴れました。今日の将軍頼経様への御馳走のふるまいは、越後守北条朝時さんが設けました。刀の献上は駿河守北条重時〔狩衣〕。弓矢の献上は、陸奥四郎北条政村。乗馬袴と乗馬沓の献上は、陸奥五郎北条実泰。献上馬は五頭。

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2017年3月19日 (日)

27巻 安貞二年(1228)正月大二日丙子

快晴です。今日の将軍頼経様への御馳走のふるまいは、武州泰時さんが設けました。刀の献上は前出羽守中条家長。弓矢の献上は、大須賀左衛門尉胤秀。乗馬袴と乗馬沓の献上は、土屋左衛門尉宗光。献上馬は五頭。

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2017年3月18日 (土)

27巻 安貞二年(1228)正月大一日乙亥

晴れました。今日の将軍頼経様への御馳走のふるまいは、相州時房さんが設けました。将軍頼経様のお出まし。刀の献上は駿河守北条重時〔束帯〕。弓矢の献上は、大炊助北条有時〔狩衣〕。乗馬袴(ローハイド)と乗馬沓の献上は、結城左衛門尉朝光。献上馬は五頭。

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2017年3月17日 (金)

脱漏 安貞元年(1227)十二月小二十八日癸酉

晴れです。泰時さんの屋敷で、将軍頼経様の来年の外出始め式について、検討しました。1月8日か14日が良いと陰陽師が云います。8日を延期すれば14日が良いと云われました。外出始め式の方角は、北が吉だと安陪晴賢が云います。北は天一神の方角だそうな。

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2017年3月16日 (木)

脱漏 安貞元年(1227)十二月小二十六日辛未

晴れました。政務事務所で、改元の筆始め式を行いました。信濃民部大夫入道行然二階堂行盛が担当しました。

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2017年3月15日 (水)

脱漏 安貞元年(1227)十二月小二十五日庚午

晴れです。六波羅の伝令が到着しました。改元の公文書を持ってきました。先日の十日に嘉禄三年を安貞元年にしました。今年は、三つの厄が重なった上、はしかが流行して、多くの人々が病気で死んだので、縁起を祓うため改元をしたのです。

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2017年3月14日 (火)

脱漏 安貞元年(1227)十二月小十五日庚申

晴れです。鶴岡八幡宮の生き物を放ち贖罪する儀式放生会を行いました。本来の八月が喪に服していたからです。

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2017年3月13日 (月)

脱漏 安貞元年(1227)十二月小十四日己未

晴れです。竹御所は、方位変えのために、越後守朝時の名越の屋敷へ入られました。

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2017年3月12日 (日)

脱漏 安貞元年(1227)十二月小十三日戊午

曇りです。将軍頼経様を守る専門僧の護持僧と陰陽師の順番を決めました。隱岐入道行西二階堂行村・周防前司中原親実・後藤左衛門尉基綱が担当です。
 
先ず 坊さんは
 上旬が、弁僧正定豪・丹後僧都頼暁・宰相律師円親
 中旬は、大蔵卿法印良信・大進僧都観基・常陸律師
 下旬は、信濃法印道禅・加賀律師定清・蓮月房律師
次に陰陽師
 一番は、安陪泰貞 二番は、安陪晴賢
 三番は、安陪重宗 四番は、安陪親職
 五番は、安陪文元 六番は、安陪晴茂

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2017年3月11日 (土)

脱漏 安貞元年(1227)十二月小十日乙卯

晴れです。病気が治ったので、穢れを洗い流す沐浴の儀式をしました。丹波良基が勤めましたとさ。相州時房さんを始めとする皆が集まりましたとさ。

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2017年3月10日 (金)

脱漏 嘉祿三年(1227)十二月小八日癸丑

駿河前司三浦義村は酒を持って御所を訪れ、女官達に渡しました。これは病気の無事平癒の祝辞を云うためです。

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2017年3月 9日 (木)

脱漏 嘉祿三年(1227)十二月小五日庚戌

晴れです。将軍頼経様が午前六時頃から、咳の病気のようです。麻疹が治ってきたので、病の穢れを落とすため沐浴しようと、決めておりましたが、この咳で延期したそうな。

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2017年3月 8日 (水)

脱漏 嘉祿三年(1227)十二月小二日丁未

晴れました。周防前司中原親実が担当して、地震について、陰陽道に占いを聞き、上申書を出させましたとさ。

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2017年3月 7日 (火)

脱漏 嘉祿三年(1227)十二月小一日丙午

晴れです。午後八時頃地震です。

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2017年3月 6日 (月)

脱漏 嘉祿三年(1227)十一月大二十九日甲辰

病気は治って、皆安心しましたとさ。権侍医の丹波良基の治療の効果が出たのでしょう。

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2017年3月 5日 (日)

脱漏 嘉祿三年(1227)十一月大二十八日癸卯

晴れです。病気は多少快方に向かっているそうな。今日、守り本尊の持仏堂で、仏の守護神の法事をしました。指導僧は弁僧正定豪。お布施などは、民部大夫入道行然二階堂行盛が指揮担当です。

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2017年3月 4日 (土)

脱漏 嘉祿三年(1227)十一月大二十五日庚子

今夜、七人の招魂祭・天曹地府祭・泰山府君祭などを行いました。祭の費用は、結城左衛門尉朝光・土岐左衛門尉光行・広沢三郎実能が負担して献上しました。

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2017年3月 3日 (金)

脱漏 嘉祿三年(1227)十一月大二十四日己亥

将軍頼経様の御病気が悪化して苦しそうです。そこでなおも、お祈りがありました。伊豆山権現・箱根権現・三島大社へそれぞれ幣を納めて拝みに行くことにしました。大和右衛門尉久良と遠藤左近将監為俊を指定して代参として、刀を奉納します。双方ともに、今朝夜明け前に出発して、明日には付くように馬を走らせろと、趣旨を言い含めましたとさ。又、密教のお祈りを捧げました。まずは、仏教の中でも特に密教で行われる五大明王に国家の安穏を修する五壇法です。
 中壇不動明王の祈りは、弁僧正定豪
 降三世明王の祈りは、大進僧都観基
 軍茶利夜叉明王の祈りは、信濃法印道禅
 大威徳明王の祈りは、加賀律師定清
 金剛夜叉明王の祈りは、宰相律師
 閻魔天の供養は、丹後僧都頼暁
 北斗星の供養は、珍与
 当年星の供養は、珍瑜
夜になって、属星祭を始めました。親職が勤めました。

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2017年3月 2日 (木)

脱漏 嘉祿三年(1227)十一月大二十三日戊戌

将軍頼経様は麻疹の風疹が出ました。それで今日、尚も続けて治るようにお祈りを行いました。馬を鶴岡八幡宮に奉納しました。又、御所の中では、七人の泰山府君祭を行いました。安陪晴賢・安陪泰貞・安陪重宗・安陪文元・安陪宣賢・安陪親貞・安陪道継等が勤めました。先月下旬から麻疹が流行して、尊い人も身分の低い人も逃れられず、上下の区別なくかかります。京都も同様だそうな。今月八日後堀河天皇もかかったそうな。

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2017年3月 1日 (水)

脱漏 嘉祿三年(1227)十一月大二十二日丁酉

お祈りのため、常陸国鹿島神宮で、仁王経と全部きちんと読む大般若経を講じました。お神楽も奉納するように決定しました。信濃民部大夫入道行然二楷堂行盛が指揮担当です。今日、神社関係者に云い送りました。来る28日に始めるようにとの事だそうな。夜になって鬼気祭・招魂祭を行いましたとさ。

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