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2016年10月31日 (月)

脱漏 嘉祿二年(1226)十月小二十七日己酉

晴れました。午前四時頃、鶴岡八幡宮修理後の引っ越です。神様本体を元の宮に移しましたとさ。泰時さんもお参りです。午後八時頃将軍頼経が多少具合が悪いとの事、発熱だそうな。

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2016年10月30日 (日)

脱漏 嘉祿二年(1226)十月小二十六日戊申

晴れました。午後八時頃星の運航に異常があったそうな。

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2016年10月29日 (土)

脱漏 嘉祿二年(1226)十月小二十一日癸卯

空は晴れて風も静かです。鶴岡八幡宮の修理をするので、夕方、神様の本体を仮殿へ移しました。それは、八幡神の本体は下宮に移し、下宮の本体は釡殿へ移しましたとさ。

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2016年10月28日 (金)

脱漏 嘉祿二年(1226)十月小二十日壬寅

京都朝廷への貢物の馬の京都護送について、決定されましたとさ。

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2016年10月27日 (木)

脱漏 嘉祿二年(1226)十月小十八日庚子

晴れです。竹御所の居所の工事初めに礎石を配置しました。狩野介宗茂入道・海老名藤内左衛門尉忠行が担当します。」
今日、北条時氏さんが京都から、中国の鳥〔名を愛子〕一羽を送ってきました。翼は青く、頭は赤で、赤の中に白い筋が入って、首の周りに輪のようです。将軍は大喜びです。

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2016年10月26日 (水)

脱漏 嘉祿二年(1226)十月小十二日甲午

晴れです。裁判の時、提訴人がそばに来ているのは、今後止めさせることにしました。
それでも、強引に来た連中は法に照らして処罰するように、尾藤左近将監・平三郎左衛門尉盛綱・南条七郎時員・安東左衛門尉光成に命令しました。
この騒ぎの原因は、中原泰貞の無法な行いからである。その領地は、事のいきさつに従い大屋家重に与えられましたとさ。

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2016年10月25日 (火)

脱漏 嘉祿二年(1226)十月小九日辛卯

晴れです。幕府の政務会議がありました。駿河前司三浦義村以下のメンバーが全員参加しました。御家人の裁判について決定しました。
現在、尾張国の御家人中原民部丞泰貞と三浦義村の家来の大屋中原太郎家重〔泰貞と同族です〕とが昔から所領について訴えています。その事を今日、検討していると、泰貞は内緒で考えて会議中の後ろへ回って、会議の内容を盗み聞きして「三浦義村は家重の意見が通るように意見を云っている。」と訴えました。家重もその近くにいて、「当然義村さんの手助けはありません。」と弁解しました。双方の云い合いが始まりました。二人ともその場所から追い出されました。

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2016年10月24日 (月)

脱漏 嘉祿二年(1226)十月小六日戊子

夜になって光る物が、流星ではないかと。夜中の十二時頃に地震です。

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2016年10月23日 (日)

脱漏 嘉祿二年(1226)九月大二十二日甲戌

幕府の南庭で草で編んだ鹿の形の的を射る草鹿がありました。時房さん・泰時さん・駿河前司三浦義村・出羽前司中条家長・下野入道小山朝政が検証役です。
射手
 
一番 相模四郎朝直   下河邊左衛門尉行光
 二番 小笠原六郎時長  本間太郎左衛門尉忠貞
 三番 三浦駿河次郎泰村 横溝六郎義行

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2016年10月22日 (土)

脱漏 嘉祿二年(1226)九月大九日辛酉

鶴岡八幡宮の神事は何時もの通りです。大炊助有時が幣を納める代参です。

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2016年10月21日 (金)

脱漏 嘉祿二年(1226)九月大二日甲寅

将軍頼経は、非公式に勝長寿院・永福寺へおいでになりました。それぞれにお参りをしました。女性用の輿を使いました。結城七郎朝広が太刀持ちです。駿河守重時・大炊助有時・駿河前司三浦義村以下数人がお供をしました。隱岐入道行西二階堂行村がお酒を用意して、寺前で進めましたとさ。

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2016年10月20日 (木)

脱漏 嘉祿二年(1226)八月小七日庚寅

晴れです。天変と地震のお祈りが行われました。それは、

一字金輪の護摩焚き〔若宮筆頭僧正定雅〕。八字文殊法〔宰相律師〕。土用星〔助法印珍与〕。木曜星〔師法橋珍瑜〕。填星祭〔安陪泰貞〕。三万六千神祭〔安陪國道さん〕。属星〔安陪宣賢〕。歳星〔安陪文元〕。螢惑星〔安陪晴賢〕。北斗星〔二位僧都尊長〕。木曜供〔珍瑜〕。土用供〔珍瑜〕

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2016年10月19日 (水)

脱漏 嘉祿二年(1226)八月小一日甲申

晴れです。夜中の12時頃に地震です。ユラユラと大きな動きです。
今日、布による取引を銅銭にするように命令しました。泰時さんが特にそう決定しました。
又、幕府の南庭で、相撲を三番命じてとらせました。これは京都から来た人々にです。時房さんも泰時さんも見物しました。その他の人々も群れを作って見物です。

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2016年10月18日 (火)

脱漏 嘉祿二年(1226)七月大十八日辛未

晴れです。午後八時頃、星の運航に異変がありましたそうな。

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2016年10月17日 (月)

脱漏 嘉祿二年(1226)七月大十五日戊辰

晴れです。月食が良く現れました。全て欠けたそうです。

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2016年10月16日 (日)

脱漏 嘉祿二年(1226)七月大十一日甲子

晴れです。二位家政子様の一周忌の法事を、勝長寿院で行われました。一切経の奉納があり、舞楽を奉納しました。大蔵卿法印良信が指導僧をしました。このお経は、普段から進めている御経です。時房さん・泰時さんを始め大勢が集まり、竹御所も出席です。
又、時房さんの建立した三重塔でも法事をしました。指導僧は荘厳房律師退耕行勇だそうな。

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2016年10月15日 (土)

脱漏 嘉祿二年(1226)七月大一日甲寅

晴れです。午後十時頃地震です。今日、橘右馬允公高それの本間太郎左衛門尉忠貞・小川左衛門尉・同右衛門尉達は。去る承久3年(1221)6月の勢多合戦の褒美を貰いました。彼らは時房さんの陣営に入って手柄を立てたのですが、未だにその褒美を受けていなかったので、何度も時房さんが推薦したにもかかわらず、許可されなかったので、ご自分が褒美に貰った伊勢国十六か所のうちの、四か所を辞退して推薦したので、褒賞命令書を発行しましたとさ。

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2016年10月14日 (金)

脱漏 嘉祿二年(1226)六月小二十八日辛亥

夜中の十二時頃地震。

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2016年10月13日 (木)

脱漏 嘉祿二年(1226)六月小二十七日庚戌

午後四時頃地震。

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2016年10月12日 (水)

脱漏 嘉祿二年(1226)六月小二十六日己酉

午後四時頃地震。

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2016年10月11日 (火)

脱漏 嘉祿二年(1226)六月小二十日癸卯

曇り。竹御所さんの喪明けです。二位家政子様はおばあさんに当たるけれども、その一周忌までの間喪に服しておりました。新御堂(大慈寺)の池のあたりでお祓いの儀式を行いました。泰貞が勤めました。

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2016年10月10日 (月)

脱漏 嘉祿二年(1226)六月小十四日丁酉

晴れです。二位家政子様の一周忌の法事です。彼女の後生を訪うために、時房さんは大慈寺の境内に三重塔を立て、今日その開眼供養の日です。指導僧は、小川法印忠快。お布施は三十種を包んだ物三十です。

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2016年10月 9日 (日)

脱漏 嘉祿二年(1226)六月小十三日丙申

晴れです。義時さんの三回忌を迎えるので、大慈寺の釈迦堂で法事です。指導僧は、求仏房で、施主は武州泰時さんです。

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2016年10月 8日 (土)

脱漏 嘉祿二年(1226)六月小七日庚寅

時房さんが建立している三重塔に九輪をあげました。

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2016年10月 7日 (金)

脱漏 嘉祿二年(1226)五月小二十三日丁丑

小林五郎・高山五郎の領地の納税を請負制にしてほしいと上申しているので、許可してもらえるように、泰時さんが上級荘園管理者の本所へ伝えさせましたそうな。この二人はとてもまじめに勤務しているから、貧乏を助けてやるためです。

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2016年10月 6日 (木)

脱漏 嘉祿二年(1226)五月小十六日庚午

晴れました。白河関の謀反の連中を捕まえた手柄の事で、結城七郎朝広と浅利太郎知義とが、ずっと争っておりますので、今日呼びつけて判決を言い渡しました。

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2016年10月 5日 (水)

脱漏 嘉祿二年(1226)五月小八日壬戌

晴れです。内藤左衛門尉盛時は、先月19日付で検非違使の任命を受けた事について、今日検討会があり、任官名簿から除名することに決めましたそうな。これは、父の左衛門尉盛家入道が、盗賊を捕まえたので、その褒美として表彰しようと云ったら、その分を子供の出世にしてほしいと希望しました。子供に兄弟があって、跡継ぎの長男が右衛門尉盛親、次男が盛時〔現在検非違使の尉〕です。それなのに、兄の盛親は父の命に従い、京都に居たり地元に居たりしています。弟盛時は鎌倉に来て居て、日夜幕府に勤務する手柄をたてておりますが、跡取りと二男の順番を守って、兄がその職に就くように、先日推薦しています。にもかかわらず父の盛家法師は、京都で幕府に内緒で可愛いくて仕方のない次男の盛時に変えて申請したのが認可されてしまいました。そういう訳なので、父が自分の勝手な意思でやった罪があります。次男が兄を越える理屈はありません。検討し尽くしてこのような処分になったそうな。

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2016年10月 4日 (火)

脱漏 嘉祿二年(1226)五月小四日戊午

小雨が降ってます。午後四時頃、結城七郎朝広それに甲斐源氏の浅利太郎知義が駆けてきて云うのには、「先月27日午後四時頃白河の関の袋辻で、若宮禅師公暁だと名乗って、謀反を起こそうとしていました。たまたま、道でであったので殺してしまいました。そしてその首を持って、捕虜1・2名を連れて来たのです。」だそうな。すぐにその首を七里ヶ浜で木に吊るして、さらし首にしました。一味は50数人で、首謀者の名は、禅師大将軍〔名前は忍寂坊〕。こいつらはみんな、ばくち打ちの悪玉だとさ。

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2016年10月 3日 (月)

脱漏 嘉祿二年(1226)四月大三十日甲寅

曇りです。又、争い事がありました。人々は鎧兜に身を固めて御所へ集まりました。しかし、間もなく落ち着きました。これは、栃木県と福島県の境の白河の関のあたりで、謀反人が居て在地御家人と多少戦騒ぎになったのだと、伝令が参って報告したからです。

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2016年10月 2日 (日)

脱漏 嘉祿二年(1226)四月大二十七日辛亥

晴れです。午後二時頃に大地震です。占い人達の結果、「十日以内に戦があるでしょう。」と陰陽道達は、大夫将監三条親実を通して御所へ上申しました。又、泰時さんにも告げに行きましたとさ。

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2016年10月 1日 (土)

脱漏 嘉祿二年(1226)四月大二十日甲辰

晴れました。午後八時頃、御所の中で争いがありました。武蔵国の御家人沼田四郎親子と白井太郎親子が刃傷沙汰を起こして、お互いに殺し合ってしまいました。恨みがあったようです。

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