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2016年9月30日 (金)

脱漏 嘉祿二年(1226)四月大十九日癸卯

時房さんは三重塔を建立してます。今日の午前六時頃に柱立てだそうな。

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2016年9月29日 (木)

脱漏 嘉祿二年(1226)四月大十日甲午

河越三郎重員が、武蔵国現地荘園管理人統治権(軍勢催促権)の職を与えられました。これは、先祖の秩父出羽権守畠山重綱以来、代々任命されてきたからです。

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2016年9月27日 (火)

脱漏 嘉祿二年(1226)四月大四日戊子

晴れです。法華経の写経の奉納です。右大将家頼朝墓・勝長寿院の右府将軍実朝墓・同地二位家政子墓の三法華堂へそれぞれ一部です。又、時房さんは二位家政子様の後生を弔う追善供養のために。大倉新御堂大慈寺の境内に三重塔を建立します。今日が、その着工式です。

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2016年9月26日 (月)

脱漏 嘉祿二年(1226)三月小二十九日甲申

午前八時頃、地震です。

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2016年9月25日 (日)

脱漏 嘉祿二年(1226)三月小二十七日壬午

晴れました。法華経十種を唱える法事です。指導僧は荘厳房律師退耕行勇。泰時さんも参加しました。

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2016年9月24日 (土)

脱漏 嘉祿二年(1226)三月小二十三日戊寅

晴れです。九条道家から、許可された高貴な色の着物が送られ、今日到着しました。

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2016年9月23日 (金)

脱漏 嘉祿二年(1226)三月小二十日乙亥

晴れました。午後八時頃、京都からの使いが到着しました。将軍家頼経さんに、先日の13日に高貴な者しか着られない制限されている色を許可されました。

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2016年9月22日 (木)

脱漏 嘉祿二年(1226)三月小十八日癸酉

晴れです。大慈寺の仏舎利を供養する法事は何時もの通りです。竹御所と泰時さんが参加しましたそうな。

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2016年9月21日 (水)

脱漏 嘉祿二年(1226)三月小十五日庚午

晴れです。午前六時頃、竹御所は法華経を写経初めのお経を聞くために、勝長寿院内の政子様建立のお堂へ行きました。実は先月22日から書いているのです。

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2016年9月20日 (火)

脱漏 嘉祿二年(1226)三月小一日丙辰

曇りです。お日和が良いので、竹御所は方角変えのため、泰時さんの屋敷へ行きました。今年初めての外出です。

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2016年9月19日 (月)

脱漏 嘉祿二年(1226)二月大十七日壬寅

曇りです。風が少々吹いて、辺りが薄暗くなって霧か霞のようです。正午頃から夕方までです。世間の人はこれを高潮だと云ってます。北風です。高潮じゃないんじゃないのかなあー。

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2016年9月18日 (日)

脱漏 嘉祿二年(1226)二月大十四日己亥

晴れです。佐々木信綱が呼ばれて御所へ来ました。刀を与えられました。これは京都へ派遣され勤めて来た褒美です。泰時さんが手渡しをしたんだそうな

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2016年9月17日 (土)

脱漏 嘉祿二年(1226)二月大十三日戊戌

佐々木四郎左衛門尉信綱が擧途から帰って来ました。1月27日に征夷大将軍を与えられました。又、右近衛少将に任命され、正五位下を与えられました。これは、四位以下の人事異動で正月の5~7日に行われたついでです。その辞令を持って来ました。

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2016年9月16日 (金)

脱漏 嘉祿二年(1226)二月大九日甲午

晴れです。天の運航の異変による災害を静めるお祈りを続けて行いました。天地災変祭・属星祭・月曜祭・螢惑星祭(火星)・歳星祭(木星)・太白星祭(金星)・填星祭(土星)です。

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2016年9月15日 (木)

脱漏 嘉祿二年(1226)二月大五日庚寅

晴れです。天の運航の異変による災害を静めるお祈りを行いました。七曜(日月火水木金土)供は法眼珍与。北斗七星の供養は法橋珍愉です。

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2016年9月14日 (水)

脱漏 嘉祿二年(1226)二月大一日丙戌

晴れました。辰の刻午前八時頃、鶴岡八幡宮で恒例のお神楽を奉納している最中に、上宮神殿の扉が開かなくて1時間程もたちました。それなので、神主が状況を説明しました。
泰時さんは、何か悪い予兆ではないかと恐れて、陰陽師を呼んで尋ねました。「辰の時間は、神事は、不浄不信をきらいますので、火事に気を付けるように。」と占って報告しました。

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2016年9月13日 (火)

脱漏 嘉祿二年(1226)正月小二十八日甲申

午前九時頃から午後一時頃までの二刻(四時間程)雷雨と大風です。

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2016年9月12日 (月)

脱漏 嘉祿二年(1226)正月小二十六日壬午

晴れです。田圃畑の領地を、双六の賭けにする事、博打を討つこと、それに個人的な米の貸付の利子を貸付額以上取る事、銭の貸付の利子が貸付額の半額を上回る事などは、朝廷の命令書どおりに全て禁止します。違反者が居れば、名前を書き出して提出するように、命令されましたとさ。

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2016年9月11日 (日)

脱漏 嘉祿二年(1226)正月小二十五日辛巳

晴れです。今朝夜明け頃に木星が土星と金星の三つの星がお互いに犯しました。行動を控えた方が良いと天文方が上申しましたとさ。

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2016年9月10日 (土)

脱漏 嘉祿二年(1226)正月小十九日乙亥

夕べから今朝にかけて雪が降り、60cm以上も積もりました。近頃では珍しい事だそうな。

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2016年9月 9日 (金)

脱漏 嘉祿二年(1226)正月小十八日甲戌

曇りです。夜になると雪が降り始め、一晩中降っていました。

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2016年9月 8日 (木)

脱漏 嘉祿二年(1226)正月小十六日壬申

曇りです。月食はきちんと見えません。夜中になって、月が多少雲間に透けて見えましたが、夜明け前に隠れてしまいましたとさ。

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2016年9月 7日 (水)

脱漏 嘉祿二年(1226)正月小十一日丁卯

晴れです。夜になって曇りました。今朝、佐々木四郎左衛門尉信綱は、幕府の派遣員として京都へ上りましたとさ。

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2016年9月 6日 (火)

脱漏 嘉祿二年(1226)正月小十日丙寅

晴れです。若君頼経の官職への就任と征夷大将軍の授与宣下について、佐々木信綱に使いを指せて京都朝廷へ申し入れるために、今日公文書を用意しました。助教中原師員が「寅の日は公文書を書くものではない」と云ってるけど、急ぐので良い事にしましたとさ。

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2016年9月 5日 (月)

脱漏 嘉祿二年(1226)正月小九日乙丑

泰時さんの屋敷に、駿河前司三浦義村達が集まりました。酒盛りとお土産がありましたとさ。

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2016年9月 4日 (日)

脱漏 嘉祿二年(1226)正月小八日甲子

晴れです。若君頼経への官職授与について、京都へ申し入れるため、派遣員を行かせようと検討しました。佐々木四郎左衛門尉信綱に命じる事にしましたとさ。

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2016年9月 3日 (土)

脱漏 嘉祿二年(1226)正月小三日己未

晴れです。御馳走のふるまいは、駿河前司三浦義村が負担献上しました。刀を献上する役は前大炊助北条有時です。

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2016年9月 2日 (金)

脱漏 嘉祿二年(1226)正月小二日戊午

晴れました。御馳走のふるまいは、越後守朝時が負担献上しました。刀を献上する役は駿河守重時です。

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2016年9月 1日 (木)

脱漏 嘉祿二年(1226)正月小一日丁巳

空は晴れて風も静かです。新築の御所で御馳走のふるまいです。武州泰時さんが負担献上しました。相州時房さんはじめ皆狩衣の礼装を着て、西の侍詰所に控えるのはいつもの通りです。出羽前司中条家長が開始時間を告げました。若君頼経のお出まし〔狩衣の礼装〕です。二条侍従飛鳥井教定が、南側の御簾を上げました。その前に、人々は庭に座っています。駿河前司三浦義村〔礼装の束帯〕が献上の刀〔袋入り〕を持ってきました。弓矢は前大炊助有時〔狩衣の礼装〕の役です。乗馬袴(ローハイド)と乗馬沓は出羽前司中条家長が持ってきました。次に引き出物の馬五頭。一番目の馬〔鞍乗せ〕は、相模四郎朝直と民部丞範重が引き出しました。

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