« 脱漏 嘉祿元年(1225)十月大十九日丙午 | トップページ | 脱漏 嘉祿元年(1225)十月大二十二日己酉 »

2016年8月 9日 (火)

脱漏 嘉祿元年(1225)十月大二十日丁未

晴れです。相州時房さんは、武州泰時さんと集まって、新御所の土地について、なお検討し、占いで決めることにしたそうな。それで、安陪國道さんを始めとする7人の陰陽師を呼び集め、頼朝法華堂の下の土地を一番目として、若宮大路を二番目としました。この両方の土地の内、どっちに決めたらよいのか、占って報告するように命じられたところ、安陪國道さんが言うには、「御所をよそへ引っ越すように、陰陽道は進言しました。しかしながら、一と二とで占えば、もし一が良いと占いが出れば引っ越す必要がないので、云ってることが二つになってしまいます。ですから一と二のどっちかに占うことはできません。」だそうな。珍与法眼が云うには、「法華堂の前の土地は、良いとは言えません。西側に山があります。それに頼朝様が墓におられます。親の墓が高い処にあり、その子供等が下に住んでると、子孫は絶えると占いの本にあります。頼朝様の子孫は絶えていますので、ぴったり符合しています。若宮大路は、四神相応の勝った土地と云えます。西には、武蔵大路の大道が、東には滑川があり、北には大臣山、南には海があります。海は池や沼に似ております。」だとさ。この意見を採用してこの地にしようとお決めになられました。但し、東西どちらに寄せるかは、占いをさせましたら、西側が最も良いと、陰陽師達が云いました。安陪信賢一人だけが反対しました。東西双方ともに不吉なんだそうな。

|

« 脱漏 嘉祿元年(1225)十月大十九日丙午 | トップページ | 脱漏 嘉祿元年(1225)十月大二十二日己酉 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/16589/66909970

この記事へのトラックバック一覧です: 脱漏 嘉祿元年(1225)十月大二十日丁未:

« 脱漏 嘉祿元年(1225)十月大十九日丙午 | トップページ | 脱漏 嘉祿元年(1225)十月大二十二日己酉 »