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2016年8月27日 (土)

脱漏 嘉祿元年(1225)十二月大二十日丙子

快晴になりました。今日、若君三寅の引っ越し式をしました。申の一点(15:00~15:24)午後三時頃に出発しました〔狩衣で乗馬です〕。昼頃と上申書に載せてましたが、ぐずぐずと時間が経過してこの様な有様です。又、先例では、引っ越しは皆夜となっています。今度は、泰時さんの意見で昼間にしました。特に思うことがあったようです。お出ましの義は、

まず、五位の人 左近大夫将監大江大江佐房 周防前司中原親実 三条左近大夫将監親実 大膳亮広仲 兵衛蔵人毛利広光 藤原匂当頼隆
 三善式部大夫光衡 伊賀蔵人 周防蔵人 兵衛判官代 伯耆蔵人 和泉蔵人 以上12人先を行く

次に、若君の後ろは
一 武州泰時        同次郎時真       越後守朝時
二 駿河守重時       大炊助有時       相模四郎朝直
三 駿河前司三浦義村    同次郎泰村       同三郎光村
四 同四郎家村       中条出羽前司家長    町野民部大夫康俊
五 日向介         小山下野左衛門尉朝長  結城左衛門尉朝光
六 後藤左衛門尉基綱    佐々木四郎左衛門尉信綱 隠岐三郎左衛門尉二階堂行義
七 加藤左衛門尉行景    天野左衛門尉政景    伊賀四郎左衛門尉朝行
八 同六郎左衛門尉光重   宇佐美兵衛尉      中条次郎左衛門尉家平
九 佐々木太郎左衛門尉重綱 土屋左衛門尉宗光    狩野藤次兵衛尉為光
十 中左衛門尉       遠藤左近将監為俊    島津大夫判官忠久

などがお供をしました。前後とも皆歩きです。南門(宇都宮辻子)からお入りになりました。南庭中央で、馬から降ろされました。牛車を寄せる間の戸と二棟の廊下を通って、寝殿の入り口の一段低い部屋に入りました。泰時さんが御簾を上げて押さえてて、お入れになりました。陰陽権助安陪國道さん〔束帯〕が魔を祓うまじないの歩きをしました。〔若君三寅は右馬から降りた後、庭の真ん中で待っていました〕廊下で褒美〔着物〕を貰いました。周防前司中原親実が手渡しました。安陪國道は御所に向って一礼して出て行きました。水や火の守り神を御所に祀りました。これを捧げる童女は略しました。又、牛車の牛〔厩務員は青い狩衣を着てついています〕を引き出しました。内藤左衛門尉盛時が指揮担当しました。その後、お供の人達始め皆庭に並んで座りました。正月の三が日の式典と同じです。

献上品を差し出す人 刀は駿河守重時 弓矢は駿河前司三浦義村 馬上袴と沓は大炊助有時
一番目の馬は、三浦駿河次郎泰村  と 同三郎光村
二番目の馬は、佐々木太郎左衛門尉重綱  と 同三郎泰綱
三番目の馬は、隠岐三郎左衛門尉二階堂行義    と 同四郎二階堂行久
四番目の馬は、狩野藤次兵衛尉為光  と 加藤五郎兵衛尉光資
五番目の馬は、陸奥四郎政村    と 同五郎実義

寝殿にお入りの後、人々は侍だまりで御馳走のふるまいを行いましたとさ。今度の引っ越し式は、実際には略式です。作法は三が日の式典ほどではありませんでしたとさ。

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