第九巻文治五年(1189)八月大二十日丁未
卯の刻(午前六時頃)に、頼朝様は玉造郡へ向かわれました。すぐに、泰衡の多加波々城を囲ませましたが、既に泰衡は城から出て逃げて行った後でした。自分の意思で城に残っていた家来達は、手を差し出して降伏投降して来ました。仕方が無いので葛岡郡に出て、平泉に向かわれました。戌の刻(夜八時頃)に、命令書を先に進んでいる先陣にお出しになられました。それは、小山の連中を始めとして、三浦十郎義連、和田太郎義盛、小山小四郎朝長、畠山次郎重忠、和田三郎宗實や武蔵の国の小武士団の党の、人達はそれぞれにこの命令書の写しを取りました。これを読んで、その趣旨を理解して、作戦をねるようにと、書かれております。その内容は、それぞれ敵を追いかけて津久毛橋の辺りまで行っても、敵はそこには居ないでしょう。平泉に入る際には、泰衡が城を構えて、兵隊達を置いて待っている事であろう。それなので、たった千や二千騎で向かって行ってはならない。二万騎の軍隊を整えて、一気に攻め立てるように。すでに敗北の兵(手負いの獅子)が相手なので、侍一人でも無駄死にさせる事の無い様、気持を持って行きなさい。
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