第九巻文治五年(1189)正月小十九日庚戌
若君(後の頼家数えの九歳)の主催で、仮想の式典を催しました。それは、京都の大臣就任祝いのお食事会(大饗の儀式)を真似ているようです。大和判官代邦道が故実の物知りとしてこれを指導しました。しかし、近衛府の武官の真似も用意させましたが、平胡籙への矢の差し方や、丸緒の付け方が分からなかったのです。三浦介義澄が預かっている囚人(預かり囚人めしうど)の武藤小次郎資頼〔平家の侍で監物太郎頼方の弟〕が、その矢の事の昔からの伝統を知っていると言いました。三浦介義澄は、この機会に頼朝様のご機嫌を伺いながら言いました。ひそかに彼を呼ばれたとしても、若君の縁起の良い儀式なので、囚人身分の者を、どうして役に付けさせられましょうかなんだってさ。頼朝様がおっしゃるには、「早速罪を許しすから、それをやらしてくれ。」と言われたので、武藤小次郎資頼は、ホッと気を取り直して、それらを伝統どおりに整えてあげましたとさ。
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