下河邊庄司行平や千葉介常胤の京都のぼりに持たせた、京都市中の盗人の群れを始めとする問題の箇条書きを後白河法皇にお伝えした内容に対し、お答えがありました。その手紙が今日鎌倉へ届いたところです。又、法皇の熊野詣の費用の事も云ってきております。日を置かず直ぐに了承した返書を出すようにとの事でしたとさ。
朝廷の手紙に書いてあるのは、
先日の八月十九日と同じ二十七日のお手紙が、今月十五日に到着しました。その一条一条の全てを法皇にお伝え終えました。
一つ 盗人の群れとそれを心配している人々の事について
おっしゃられるように、京都市中に詳しいものか、或いは京都近郊の者の行為であろうと院は考えておられます。元々、関東から来ている武士達の仕業だとは全く聞いていません。又、そんな事は関東にも云ってません。ただ近頃は検非違使庁の力が弱まっております。まるでコウノトリの頭の毛の様に軽くて頼りないのです。京都駐在の武士達が力をあわせて処理してくれれば、かなり制圧になるんじゃないかと思われているので、特に鎌倉へ聞いてみるように、仰せられておられます。特に犯罪者の連中は、関東武士だと威張って脅かすので、検非違使達も力不足のため手を出すのをためらっているんだそうだ。どうか推察してみてください。しかし、検非違使の庁の管轄だと云われるのは、法にかなった事であり、そのとおりでしょう。だから、殊に検非違使で処理するように、摂政兼実に言いつけられました。但し、関東武士も協力して手伝うべきではないでしょうか。
だいたい、大江公朝の話は、まだ聞いてはおりません。書状のとおりならば、とんでもないことなので、早速調べて処理させましょう。信盛や大江公朝を検非違使に任命する事は、おっしゃられる趣旨は理由のある事でしょう。しかし、白河法皇や鳥羽法皇の時代には、源氏と平氏が共に並んで治安にあたっていました。それだものだから、他の武士達は、朝廷に使われていても、ほかに昇進する道が無いので、検非違使への任官を望んだものでした。決して新しい例外では無いですよ。平知康の事ですが、鎌倉へ下る事は聞いておりません。国に留まる事も申し出ておりません。鎌倉から京都へ追い返されようと、鎌倉のご意思どおりに、こちらではどうもしません。京都朝廷に仕えた者の子孫を、頼朝様がとりなしてくれる事は、後白河院もお喜びになられております。その事は元から承知されております。
一つ 西八条の事は
何かの折に院が言い出されたことであります。頼朝様に与えられたのです。返して欲しい気持もありますけれど、今は特に用がありませんので、どうぞ今までどおりお使いください。
一つ あちこちの地頭の所業について
処理なさりたいように、それぞれに命令を出してください。更に申し上げるべき事がありますので、なお申し遣わします。院のご入用の事ばかりを申されている訳ではありません。殆どの多くは神社お寺からの訴訟なので、放っておくわけにも行かず、細々と伝えているのであります。人の不満や神様の祟りが積もっているので、世間も落ち着かないのです。もしあちこちの不満を解消すれば、神様も守ってくれるでしょうし、庶民も喜ぶようならが、有るべき状態に戻した良い政治となり、世間も静かに落ち着くでしょう。
義顕(義経)の事も、神様のお力によって、はっきりと耳に聞こえてくるであろうとお思いになられて、このような事は、理に基づいて処理されるように、何度も云ってきたので、一つは人の話をよく聞いて、一つは事の是非を無理に決する事はしないで、お計らい戴くために、今まで云って来たのであります。しかしながら、義顕(義経)の事は、色々と風説は有りますけれど、明らかな証拠は耳にしておりません。これがために、用心をすることは、いずれもその理由はあります。従って、(義経探索の)大事な用件があっても、院の進めに随って良く考えてお話ください。どうあっても自分の都合を押し通さず、公の平和を承知して、天下を静かにさせるために、考えて処理なされるのならば、異論はさしはさみません。今日からは、訴訟を取上げるのは、留めおきます。但しあちこちから訴えが有るので、なお、言い送る事がありますので、常に理非にあわせて処理いただきたいのです。ご承知おき戴くために、予めお伝えしておきます。
一つ 円勝寺の領地の駿河国益頭庄について
平家から取上げて頼朝様に与えた没官領ではありません。故信業朝臣が昔治めていた所です。したがってその荘園は、以前に一条能保様に話したが遠慮したのです。早く処置して、寺管理者への年貢は、怠けることなく納付するようにさせて下さい。
一つ 熊野詣に出かけることについて
(後白河法皇は)もう寿命も今年か来年程度しか持たないだろうと、思っておられます。ですから、今後は、大晦日から元日にかけて神社にお参りしながら篭る「年篭り」は、やりきれないと思っておられるので、今回はどうしても詣でたいと計画しておられるのです。熊野神社の坊さん達に供える米を千石、前から云っている様に調達させてください。他に手当てがありませんので、頼んでいるのです。また、絹布類なども少々助成してくれるように願います。しかし、わざわざ探すほどではありません。
一つ 阿武郡の事について
東大寺の作事は今も続いておりますので、材木は沢山いります。そこで、ご命じになられても無理なのでしょうか。
以上の事柄を、院からの仰せはこのとおりです。そこで書き出したのはこのとおりです。
九月二十日 太宰権師藤原吉田經房〔命じられ書きました〕
個人的に書きます。
天皇が父母に挨拶に行く朝覲行幸の事ですが、来る十一月上旬に行われる予定です。先日お命じになられた天幕の事ですが、出来上がったら納品予定日以前に出させてください。宜しくお取り計らいいただきたく、ご承知下さる様、お知らせいたします。また、盗人どもの扱いには、千葉介常胤、下河邊庄司行平を通して、別途手紙を出すべきなのですが、紙や筆がもったいないので、一紙に載せて御礼申し上げます。その二人が京都へ駐屯してから、京都市内は思った以上に静かになっております。とても感じ入っているとおっしゃられております。重ねて宜しくお願いします。
後白河法皇が密教の伝授式に偉い坊さんから頭に聖水をかけて貰う儀式の「伝法潅頂」は終わる事が出来ました。その分の費用としての贈り物は、もう結構で御座います。
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