第七巻文治三年(1187)三月小十日壬子
土佐の国(高知県)の地侍の夜須七郎行宗は、梶原平三景時と押し問答をしました。頼朝様が直接これに裁断を決します。行宗は、壇ノ浦の合戦の時、平家の侍で周防の国(山口県東部)の地侍岩国二郎兼秀と弟の岩国三郎兼末を捕虜にして連れてきました。その手柄を表彰されるように、上申して来ましたが、梶原平三景時がさえぎって云いました。あの戦の時に、夜須なんて名前を名乗るものは居なかった。例の岩国兼秀達は、平氏が負けたので、仕方なく降伏してきた連中だ。それを時間がたって分からなくなってしまったのを良い事に、夜須行宗はずるがしこく考えて、今申し出ているのだと訴えました。しかし、夜須行宗は、あの戦の時は春日兵衛尉と同じ船に乗っていましたと弁解をするので、春日を呼び出して、問いただしたところ、勿論一緒だったと答えました。完全にはっきりとした証人になりました。そこで恩賞を与えることにすると、夜須七郎行宗に言い聞かせました。梶原平三景時は、いい加減な訴えをした罰として鎌倉中の道路を整備の道普請をするように命じられました。筑後權守俊兼が検査担当をすることになりました。
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