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2008年6月25日 (水)

第六巻文治二年(1186)三月小二日庚辰

今南と石負庄の兵糧米を止めて地頭を撤退させるように、昨日師中納言吉田經房が使いをよこして、院宣(院からの命令書)を北條時政殿へ伝えてきましたが、今日正式な命令書を作成してよこしました。又、北條時政殿が申し上げた事を後白河法皇に伝えたと左少弁官の定長が吉田經房へよこした手紙を、經房は北條時政殿によこしましたとさ。

 時政が申してきたことは、後白河法皇に伝え終えました。七カ国の地頭職を辞退することは、とても大人しくして良い事である。それなのに総追補使はなんで止めないのか。農業を進めるために地頭職を止めて、庶民の嘆きが無くせばそれは神妙なことだ。さぞかしそうするんだと思ったけど違うの。兵糧米の未納分のことも、その話と同じで、春になって樅蒔きの時分に攻め取っては、貧乏人たちがさかし嘆くことになるんじゃないの。その事も又、よくよく考えなくちゃいけないんじゃないの。平家から取上げた没官領の検地の事は、二位卿頼朝からお上へ云って来ないのは、どうするつもりなのか。詳しく詳細を聞いて、どうするのか良く考えてくれと云うのが、非公式なお考えです。では、宜しく。

          三月二日 左少弁

    師中納言殿

今日、故前宰相大井御門光能の後家さんで出家している比丘尼阿光が、先月使いを鎌倉へよこして、代々相続してきたこの家の領地の丹波国栗村庄(京都府綾部市栗町)で地頭の武士が年貢を横取りすると訴えてきました。仕方が無いので横取りを止めるように、頼朝様はおっしゃられましたとさ。

 命令する 丹波国栗村庄のこと

 武士の地頭による年貢の横取りを止めて、元の通りに崇徳院供養のための領地として年貢をきちんと支払い、領家の指示に従うこと。

 右のその庄は、崇徳院供養のための領地だと後白河法皇からの命令が出ている所なのです。それなのに京都に駐屯している武士が、兵糧米を集めるどさくさにまぎれて、それとなく横取りをした。今に至っては、さっさと元の通りに領家のものとして、領家の指示に従い、年貢を例年通りに納付するように命令するのはこの通りである。

    文治二年三月二日

 

そのほかに、奈良の大仏師の成朝が、勝長寿院の仏像を彫る為に鎌倉へ呼び寄せていたので、奈良の同輩の仏師が、彼の留守の隙を狙って大仏師の職をねだっていると嘆いてきたので、その訴えの手紙を取上げて、京都朝廷へ申し入れられました。その手紙に書いてあることは、

 仏師成朝が訴えている奈良の大仏師職について、云っていることがあっているのなら、言い分どおりに処理をするように願いたい。恐れながらも宜しく。

    三月二日               〔頼朝様の花押があります〕

   差し出します  師中納言殿

 奈良の大仏師の成朝が申し上げます。

 興福寺の仏像の政策を、早く他の仏師を辞めさせ、代々続いている慣習の通りに、一本に絞り成朝が作り奉仕するべきように

 その大仏師の職は、成朝が先祖伝来連綿と絶えることはありません。それは、定朝。覚助、頼助、康助、康朝なのです。先祖五代の間に、覚助や頼助の時に興福寺が炎上したことはあるけれども、大仏師の職を置いてて、他の仏師にやらせるようなことは全くありませんでした。もっとも覚助や頼助は位の無い坊主でしたが、仏像を作成した手柄により、開眼供養に坊主の位をもらいました。今、成朝が代々の例のとおり、造営すべき時ですが、他の仏師がそれぞれに職を濫りに望んで、それぞれ仏像造営をしています。嘆かわしいことこの上なく例えようもありません。これは、平家が南都焼き滅ぼしたので、それを復興するのを請け負ったからです。中には定朝の本流の弟子だと云う者もいるでしょうが、所詮この成朝と比較できるものではありません。代々引き継いできた格式といい、腕の良さといい、使ってみて誰がだめだと批難出来ましょうか。その家柄が無ければ文句をつけられません。今、仏像造営作業に従事している連中が、どちらが優れているかを調べてくれれば、はっきりとするでしょう。早く昔からの子弟伝来の慣習にあわせて、私が申し上げているように、他の仏師を止めさせて、成朝一人に仏像作成を命じると云って下さい。特に東金堂の仏像は、成朝が朝廷からの命を守って作仏中だったのですが、鎌倉殿から勝長寿院の仏像を作成するように命じられたので、突然に関東へ下ったので、院性が希望して勤めていると聞こえてきています。その事がもし本当なら、大仏師の称号を欲しがっている恐れがあります。従来の慣習にあわせて判断されなければ、それこそ正しい道筋が保たれることが分からなくなってしまいます。それなのでおおざっばではありますが申し上げることは以上の通りです。

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