2009年7月10日 (金)

第九巻文治五年(1189)二月大二十六日丙戌

去年、奥州平泉へ遣わされた京都朝廷の役人の守康は、すでに京都へ戻るところで、今日鎌倉に泊まりました。八田右衛門尉知家に命じて饗応させました。守康が言う事には、義経のありかが分かりましたので、早く捕まえて突き出しますと、泰衡は返事を書いて申し上げています。(頼朝様が)おっしゃられたのには、そのことだが、どうも泰衡の腹の中はわかり難い。心底義経に味方しているので、先日の京都朝廷の命令書を無視して、突き出さなかった。それを今更、一時凌ぎに、命令に従いますと書いているが、凡そ嘘に違いない。まったく信用するには値しないなだとさ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 9日 (木)

第九巻文治五年(1189)二月大二十五日乙酉

使い〔雑用の里長〕を奥州平泉へ行かせました。泰衡の動向を調べさせるためです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 8日 (水)

第九巻文治五年(1189)二月大二十二日壬午

(頼朝様は)使い〔雑用の時沢〕を京都へ出発させました。義経が行方をくらましてから後の、京都朝廷のやりかたは、生温すぎるので、人なんてものは悪事をしないわけが無い。何故急いで対処しないのだと、申し入れるためなんだと。

一つは、奥州平泉の頭領藤原泰衡が、義経を匿っている事は、反逆者に同意している事は疑いようも無い。朝廷の許可を得て、罰を加えに行こうと望んでいる事。

一つは、藤原頼経卿は、義経に味方をしている役人である。役職を辞めさせて朝廷から追い出すように前に申し上げています。それなのに院からのお叱りは有ったと聞いていますが、未だに京都に居るので、納得が出来ません。

一つ 按察大納言〔葉室朝方〕、左少将藤原宗長、出雲侍従朝経、出雲目代兵衛尉政綱、前兵衛尉為孝の連中は、義経に味方している罪として、現在の官職を解雇してください。

一つ 比叡山の僧兵達は武器を携えて、義経に味方したことは、悪巧みを企んでいるので、叱ってくださいと先日申し上げましたが、その旨をご命令は出していただいたと聞きました。しかし、未だに弓矢や太刀、刀が比叡山に充満していると噂があります。

一つ 後白河上皇の夢のお告げによって、平家に味方して流罪になった人達を許して京都へ呼び返すことについて、坊主や平時実、平信基なんて役人の連中は何という問題も無いので、許して呼び戻される命令を出されたらどうですか。

一つ (源氏の)大切にしている六条若宮八幡宮は、法皇のお住まいの近所ですね。祭りの時に喧嘩が起こったなんて、お騒がせしてすいませんでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 7日 (火)

第九巻文治五年(1189)二月大二十一日庚巳

(頼朝様が)箱根権現の稚児達を呼びつけたので、昨夜到着しました。それは、来月三日の鶴岡八幡宮へ奉納する舞楽を勤めさせるためです。稚児姿が八人で、増寿、箱熊、寿王、閉房、楠鶴、陀羅尼、弥勒、伊豆石丸です。八幡宮長官の住まいで、今日から音合わせのリハーサルを始めました。山城介久兼が事業担当です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 6日 (月)

第九巻文治五年(1189)二月大十二日壬申

一条能保の使いが参りました。義経の味方している連中が、未だいるようじゃないかと内々に(頼朝様が)申されたからです。又、京都御所の修理については、既に京都朝廷では決めたようです。治承年間に書き出した文書に基づいて、関東政権に命令を出すようだと噂を聞いたんだとさ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 3日 (金)

第九巻文治五年(1189)正月小二十五日丙辰

若君(後の頼家数えの九歳)が、相撲?の勝負をしました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 2日 (木)

第九巻文治五年(1189)正月小二十四日乙卯

御臺所政子様が、鶴岡八幡宮へお参りに行かれました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 1日 (水)

第九巻文治五年(1189)正月小十九日庚戌

若君(後の頼家数えの九歳)の主催で、仮想の式典を催しました。それは、京都の大臣就任祝いのお食事会(大饗の儀式)を真似ているようです。大和判官代邦道が故実の物知りとしてこれを指導しました。しかし、近衛府の武官の真似も用意させましたが、平胡籙への矢の差し方や、丸緒の付け方が分からなかったのです。三浦介義澄が預かっている囚人(預かり囚人めしうど)の武藤小次郎資頼〔平家の侍で監物太郎頼方の弟〕が、その矢の事の昔からの伝統を知っていると言いました。三浦介義澄は、この機会に頼朝様のご機嫌を伺いながら言いました。ひそかに彼を呼ばれたとしても、若君の縁起の良い儀式なので、囚人身分の者を、どうして役に付けさせられましょうかなんだってさ。頼朝様がおっしゃるには、「早速罪を許しすから、それをやらしてくれ。」と言われたので、武藤小次郎資頼は、ホッと気を取り直して、それらを伝統どおりに整えてあげましたとさ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月30日 (火)

第九巻文治五年(1189)正月小十三日甲辰

夜になって、一条能保様の使い〔小間使いの荒四郎と言います〕が到着しました。先日の五日の位を授ける人事異動の文書を送ってこられました。従二位の頼朝様は、正二位を与えられましたとさ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月29日 (月)

第九巻文治五年(1189)正月小九日庚子

今日は、若君(後の頼家数えの九歳)の弓始めの式です。射手は十人。若君用の住まいの小御所の南に面した庭でこの催しをしましたとさ。

 一番 下河邊庄司行平 対 曽我太郎祐信

 二番 小山七郎朝光  対 和田三郎宗實

 三番 藤澤次郎淸近  対 橘次公成

 四番 三浦十郎義連  対 海野小太郎幸氏

 五番 榛谷四郎重朝  対 和田小太郎義盛

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«第九巻文治五年(1189)正月小三日甲午